第5回
2024.02.10
今年、大変喜ばしいことに「江戸前天婦羅 葉むら」の店主関沢邦夫氏は喜寿を迎えられます。そこで今回の記事は、これまでの「葉むら」の歩みを少し振り返りながら、ご常連の方々には懐古の情に浸っていただき、そして、まだ一度も葉むらの天ぷらを味わったことがない方々には、少しでも「葉むら」について知り、興味を持っていただければ大変嬉しく思います。
「葉むら」の創業は昭和56年(1981年)。店主の関沢邦夫氏は19歳の秋、かの有名な「鎌倉ひろみ」で見習いとして働きはじめ、15年間修業を重ねました。当時の鎌倉は綺羅星(きらぼし)のごとく文化人が住んでいて、(敬称略)川端康成、小林秀雄、中村光夫、永井路子、横山隆一、小津安二郎等々が御常連さまで大変楽しい修業時代だったそうです。関沢氏は「鎌倉ひろみ」での15年間はとても貴重な年月を過ごすことができたと振り返っています。
昭和56年(1981年)、関沢氏が34歳の時に独立の話があり、葉山に店を出すことになります。場所は葉山町一色995-3、今の相鉄ローゼンの50m程奥の工務店の1階を借りて店を構えました。「葉むら」という屋号は葉山町(はやままち)の前身であった葉山村(はやまむら)から来ています。話は逸れますが、葉山町は大正14年(西暦1925年)1月1日に町制を施行し、来年令和7年(西暦2025年)1月1日をもって100周年という大きな節目を迎えるようです。
独立して1年ほどは苦労が続きましたが、鎌倉の頃のお客様やバブル景気の後押しもあり、お店の経営は軌道に乗っていきました。
その後、御常連のお客様から衣笠に良い空き店舗があるという情報を入手し、平成2年(1990年)にJR衣笠駅前(横須賀市衣笠栄町1 杉本ビル 2F)へ移転しました。
時代は昭和から平成の時代へと移り変わり、それに合わせるように「葉むら」もまた新天地衣笠で新たなステージの幕が開けます。がバブルがはじけ、関沢氏は店の経営に苦労することになります。しかし、御常連客はもちろん、とても良い大家さんに恵まれて、次の移転までの楽しい15年間を過ごします。衣笠では、大家さんに頼まれてカラオケの講師をしたり、鎌倉時代からのお客様である『四季の味』の編集者のおかげで、各ジャンルの5人の料理人がオリジナル料理を発表するコーナーの連載や『天ぷら屋の一人言』という連載もやらさせていただいたりと、これまた天ぷらを探究するには貴重な経験となりました。そのおかげで遠方から「本を拝読して…」というお客様もずいぶん増えました。
そんな充実した時間を過ごすことができた衣笠でしたが御尊父の逝去を機に、生まれ育ったその土地(現在の葉むらの場所)に新たに店を建て、平成17年(2005年)の7月に戻って来ることになったのです。2012年には市内で初めてミシュランガイドの星(一つ星)を獲得しました。そんな二度目の移転先南葉山で営む「江戸前天婦羅 葉むら」も、早いもので19年目を迎えています。
喜寿を迎える今年の関沢氏は、名店「鎌倉ひろみ」で修業し「正統派江戸前の天ぷら」を継承し独立しました。そして独立後は、その継承した正統派江戸前の天ぷらをさらに「葉むらの天ぷら」へと昇華させ、今日皆様に喜んでいただける天ぷらとなっています。関沢氏が厳選して仕入れる天ぷらダネと五十余年に渡って培ってきた職人技術は、都内の高級天婦羅専門店に決して引けを取らない最高級の天ぷらとなっています。
私的なお話になりますが、江戸前天婦羅「葉むら」の暖簾に、私が初めて手を触れたのは2002年の11月頃だったでしょうか。20年以上前の遠い記憶ですから、その時の状況全てを鮮明に思い出すことはできませんが、初めて葉むらの天ぷらを食した時の感動は今でも鮮明に覚えており、事あるごとに記憶が蘇ってきます。当時それまでカウンターがある本格的な天ぷら専門店で天ぷらを食したことがなかったのですが、その時初めて葉むらの天ぷらを口にした私は天ぷらとは本来このようにして味わうものなのかと、またこんなにも美味しいものなのかと衝撃を受けたことだけははっきりと覚えています。それ以来、「葉むらの天ぷら」は私の中で最高級の天ぷらであり続けてくれています。(次回につづく‥‥‥)
(文:立)
注釈:文中で取り扱っているデータ等については、Bing AI(Chat-GPT4搭載)との対話及びネット情報、文献等からの筆者独自の分析によるものです。
参考文献:『天ぷらのサイエンス』(誠文堂新光社, 2022)