「葉むら」の暖簾に触れて

第21回
2024.11.08

暦の上では立冬を過ぎましたが、ようやく銀杏並木が色づいて秋本番を感じさせてくれるようになりました。新鮮な銀杏(ぎんなん)は色鮮やかな翡翠色で、味覚だけでなく視覚も楽しませてくれる天ぷらタネです。今回は、そんな銀杏(イチョウ)についてお話ししてみたいと思います。

「生きた化石」と聞くと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
シーラカンスやオウムガイ、カブトガニ、ガラパゴスゾウガメやイリオモテヤマネコなどを思い浮かべるかと思いますが、進化論を唱えたダーウィンはイチョウのことを「生きた化石」と呼んでいたそうです。

そう「森の生きた化石」です。その祖先の起源は2億4500万年前まで遡ることができる渡来植物です。現在世界中に分布している現生のイチョウは、大昔の先祖の様子を忠実に留めていて、扇形の葉は化石においても現生においても同様だそうで、1億7000万年前のジュラ紀のものであるイチョウの化石は現生のものと非常によく似ているということです。
日本の都心部では街路樹として多く植えられていて、我々は日常的に目にすることができるイチョウですが、およそ2億年も前からの生きている化石かと思うと、実に悠久の時の流れを感じます。
人類はたかだか20万年ですから…。

2019年に中国の研究チームがゲノム解析により、その膨大なデータから世界に分布するイチョウのほぼすべてが、浙江省天目山を代表とする中国東部個体群を起源としていることが分かったと、国際的な学術誌「ネイチャー・コミュニケーションズ」(電子版)で論じています。

中国原産のイチョウがいつ頃日本に入ってきたのかは諸説あるようで、明確な時期はわかっていません。大和時代という説もあれば、平安時代末期や鎌倉時代という説もありますが、15世紀の室町時代と結論づけるものもあります。

2010年に倒木してしまった神奈川県の天然記念物に指定されている鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏が樹齢千余年と言われていますが、幾つもの文献検証の結果から、14世紀半ばには、まだ植えられておらず、また17世紀にはすでに大樹となっていたという文献内容から逆算すると、鶴岡八幡宮に銀杏が植えられたのは14世紀末〜15世紀初め頃と思われるという結論が導き出されています。なので鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏は樹齢1000年ではなく400〜500余年というのが実際の樹齢であるということを踏まえると、室町時代には中国から日本に入ってきていたのは間違いないと言えるでしょう。

 銀杏踏て しずかに児の 下山哉 
(いちょうふみて しずかにちごの げざんかな)  

これは有名な松尾芭蕉の句ですが、このようにイチョウが詩歌に詠まれるようになったのは、江戸時代以降ということですから、この頃には町のあちこちで現在の街路樹並みの大きさの銀杏が植えられていたのかもしれませんね。

イチョウには雄株(オスの木)と雌株(メスの木)があり、雌株しか種子をつけません。秋に銀杏の実をつけている木を見つけたなら、それは雌株ということです。銀杏並木の端から端までのすべての木の下に銀杏(ぎんなん)が落ちているということはありません。

見事な黄金色の葉を輝かせながら日本の秋の感じさせてくれるイチョウ。また秋の味覚を代表する銀杏(ぎんなん)は、日本では茶碗蒸しには必ずと言っていいほど入っているわけですが、銀杏を食するのは世界でも中国・韓国そして日本だけだそうです。イチョウの実・銀杏(ぎんなん)を自国の食文化に上手に昇華させた先人たちに感謝します。

イチョウ(銀杏)の花言葉は「長寿」です。そんな有難い「花言葉」にあやかって、葉むらで旬の「銀杏」の天ぷらをぜひ味わってほしいと思います。(次回につづく‥‥‥)

(文:立)

注釈:文中で取り扱っているデータ等については、Bing AI(Chat-GPT4搭載)との対話及びネット情報、文献等からの筆者独自の分析によるものです。参考文献:『天ぷらのサイエンス』(誠文堂新光社, 2022)