「葉むら」の暖簾にふれて

第9回

2024.02.29

1847年頃の地図

 「江戸前」がつく料理といえば、天ぷらより寿司をイメージする方が圧倒的に多いだろうと思います。食の歴史を見てみると、「江戸前」といえば鰻(うなぎ)を指す言葉だったわけですが、そもそも「江戸前」の定義はどのようなものなのでしょうか。

 「江戸前」は、元々「江戸城の前」を意味し、江戸時代に存在していた「江戸前島」もしくは「佃島」(隅田川河口の地域)周辺の漁場、またはそこで獲れた魚を指す言葉だったそうです。江戸幕府が開かれた後、江戸城下の人口増加に伴い湾岸の埋め立て開発や魚の需要増大による漁場の拡大と、江戸湾(東京湾)の範囲は次第に広がっていきました。そのため、どこからどこまでが「江戸前」なのか、その定義は21世紀に入ってからもしばらくは漠然としたものだったようです。そこで、2005年にようやく水産庁が「『江戸前』を東京湾全体で獲れた新鮮な魚介類を指す」と定義付けました。そしてここでいう「東京湾」とは、三浦半島の剱崎(神奈川県三浦市)と房総半島の洲崎(千葉県館山市)を結ぶ線の北側の内湾と外湾を合わせた総称となりました。

 そうは言っても、時代は21世紀。優れた最新テクノロジーで高効率化されたロジスティックスのおかげで、東京湾だけでなく日本全国津々浦々からのとれたての食材が、とれたての鮮度が保たれた状態のまま、その日のうちに、あるいは翌日には市場やお店に届けられます。食材によっては外国産の物が新鮮なまま空輸されて運ばれてきます。

 その昔、江戸湾へ魚介を獲りに行った舟の帰りを待ち、その日獲れた魚を仕入れ、それを捌いて屋台で料理してお出しするという、生産性も効率化もありません。全て人力が要の時代ですから。
 そんな江戸時代中期と現代を比べると、もはや2005年の水産庁による「江戸前」の定義はあまり必要なかったかのようにも思えます。が、寿司屋にしても天ぷら屋にしても、何にしてもお店の看板に「江戸前」を掲げているのであれば、それは「江戸前」の代表的な魚介類は必ずお出しするというポリシーを実直に守って経営されているのだろうと思います。
「葉むら」もそんなお店の1つです。もちろん魚介にしても野菜にしても、旬がありますし、自然の恵みですから、旬のものであっても入荷できない時もあります。近年は気候変動による漁場の変化からでしょうか、通年入荷できていたものが出来なくなっているものも少なくありません。しかし、そんな状況であっても、店主はできるだけ「江戸前」の天ぷらダネは外さない努力を43年間続けています。

 身近に感じる東京湾ですが、そこから得られる自然の恵みは実のところ、今日ではとても貴重な物なのです。そんな「江戸前」の天ぷらダネを「葉むら」で味わってみてください。(次回につづく‥‥‥)

(文:立)

注釈:文中で取り扱っているデータ等については、Bing AI(Chat-GPT4搭載)との対話及びネット情報、文献等からの筆者独自の分析によるものです。
参考文献:『天ぷらのサイエンス』(誠文堂新光社, 2022)