- 霜月拝啓 落ち葉の候、皆様におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご愛顧を賜り、誠にありがたく厚くお礼申し上げます。紅葉も日々色濃くなり、銀杏の葉が真っ黄色になり、薄(芒)が秋風に揺られて秋の… 続きを読む 霜月
創業40周年の御挨拶
謹啓 時下ますます御清栄のこととお喜び申し上げます。平素は格別の御高配を賜り 心より感謝申し上げます。
さて この度 江戸前天婦羅 葉むらは本年9月をもちまして創業40周年を迎えることとなりました。これもひとえに皆様の温かい御厚情の賜物と心より深く御礼申し上げます。
これからも御客様の御期待に添えますよう一層努力してまいる所存でございます。
今後とも倍旧の御支援御愛顧を賜りますようお願い申し上げます。略儀ながら創業40周年の御挨拶を申し上げます。
敬白
令和3年9月吉日
江戸前天婦羅 葉むら
店主 関沢邦夫
究極の天ぷらを目指して
私の目指している究極の天ぷらというのは、お客様がお腹いっぱい天ぷらを召し上がったにもかかわらず、揚げ物を食べた気がしない。 お腹がスッキリして、 またすぐに食べに来たい、そんな天ぷらを揚げたいと思っています。
そして一番大切にしたいのは、お客様に季節を感じて頂けるような天ぷらをお出しすることです。 春なら天然の山菜や銀宝、夏なら鮑やグリーンアスパラガス、秋なら栗、銀杏、松茸やハゼ、冬なら白子や牡蠣等々、旬の素材でその季節を感じて頂けたら、板前冥利に尽きるというものです。
逗子タウン誌掲載文より
天ぷらはもともと西洋料理(ポルトガルだったかしら)だったらしいのですが、いつの間にやら寿司とともに日本料理の代表選手になってしまった、ふしぎな料理。外人も”テンプーラ”などとのたまって純粋な日 本料理であることを疑わない。
そんな天ぷらですが、今までボクが食べた中では、この葉むらの天ぷらがピカイチです。 ホントにおいしいんです。 自信を持っておススメできます。
さっぱり、ふっくらと揚げてあってサクッとした歯ごたえ、この歯ごたえが天ぷらの命、メチョとかグヅヅなんてのはダメ。 サクッこれです。 これがたまらない。
はじめて行かれる方はコースで頼まれるといいですね。ご主人がちゃーんと順番どおり、ころあいを見はからって揚げてくれますから。 え っ!! こんなものを天ぷらに?! と驚いてしまったりしてたのしい食事になることうけあいです。
(逗子のタウン誌に掲載された二階堂正宏氏の文より抜粋)
葉むらの天ぷら
日本人が愛して止まない和食の定番「天ぷら」。家庭で味わう精進揚げから、カウンター越しでいただく庶民には敷居が高いと思われるような高級料亭での天ぷらまで、「天ぷら」といってもそのバリエーションは実に豊富です。
そもそも「天ぷら=小麦粉の衣をつけて揚げる「つけ揚げ」」は、ポルトガルやオランダなどの国々の食文化のひとつとして渡来したとみるのが妥当とされ、純粋な和食でないという事実に意外だと思う方も少なくないかもしれません。それを裏付けるのが、諸説あるなかで天ぷらの語源がポルトガル語の「tempero(調理・調味料)」からきたという説が有力とされていることです。したがって天ぷらは南蛮文化が長崎に伝えた西洋料理が日本化されたものだと言えるでしょう。
その天ぷらは、やがて長崎から大坂へ、そして江戸へと伝播していくわけですが、なぜ江戸っ子にそれほど天ぷらが支持されたのでしょうか?
その背景として三つの理由が考えられます。
一つには、江戸の町は前海が魚種が豊富で理想的な漁場だったことで最高のたねが入手できたということです。二つめの理由として、屋台の存在です。江戸時代の中期に出現し、天明期には通りの両側にずらりと並ぶほどの賑わいをみせた「屋台」の存在が「天ぷら」をポピュラーな料理へと進化させました。スナック感覚で気軽に食べられる屋台は、長屋住まいの江戸庶民の大半が利用する恰好の場所であったからだと考えられます。三つめの理由として、この頃には菜種油やごま油の生産性が高まり、油が安価に入手できるようになったことです。江戸前の天ぷらがこれほどまで日本人に受け入れられた背景には、これらの諸条件があったからだと考えられます。
もっとも、天ぷらが和食の代表料理の一つだと誰もが信じて疑わないほどの地位まで押し上げたのは、江戸っ子の天種へのこだわりがあったからだと思います。さまざまなたねを使うことでより多くの江戸っ子庶民の嗜好を、江戸前の天ぷらは受容していったのです。
天ぷらはよく「たねが七分で腕三分」といわれます。天ぷら職人の腕がいくら良くても天種が悪ければ、決して美味しい天ぷらにはなりません。つまり、本当に美味しい天ぷらを食べさせてくれる店というのは、単に油の温度と揚げる時間の長さだけではなく、天種である食材選びに余念がありません。一流の天ぷら職人というのは、天ぷらに適した食材の目利きの能力が、凡人の想像がとおくおよばないレベルで培われています。
葉むらの店主関沢邦夫氏も、創業して40年、絶え間なく天種にこだわり続けています。日本全国各地から、その季節の時々に応じて旬の食材、鮮度にこだわった最高の材料を仕入れ、素材本来の味、旨味が最も感じられるよう一つ一つ丹念に下ごしらえ、仕込み作業を行います。このことから「たねが七分」という言葉にも、実は一流の天ぷら職人の長年の技術が含まれているということを理解しておかなければなりません。付け加えて言うなら「腕三分」は、衣の付け方と揚げ方を指すと考えられますが、この言葉にもにわかには決して真似のできない長年の天ぷら職人の経験値があっての「腕三分」であるということです。
店主曰く、天ぷら屋の暖簾分けにはさほど意味をなさないのではと以前伺ったことがあります。その店の天ぷらはその者が揚げるからその店の天ぷらであって、暖簾で同じ天ぷらが揚げられるわけではないということです。葉むらの天ぷらは店主である関沢氏が揚げるから葉むらの天ぷらであるのであって、仮に暖簾分けされた葉むらの別店舗があったとして、そこで関沢氏が揚げない天ぷらであるなら、オリジナルの葉むらの天ぷらにはなり得ない、元祖葉むらの天ぷらであるとは言い難いということです。
これは経営学のナレッジマネジメントの理論で取り上げられる形式知と暗黙知の概念で考えると分かりやすいでしょう。天ぷら職人としての技術は、ある水準までは第三者に教えることができる、あるいは真似ができる、技術を盗むことができる形式知の領域と、その領域外に当たる決して言葉にできない、数値化できない、長い年月をかけて天ぷら職人として培ってきた勘のようなものは、第三者に教えたくても教え伝えることができない暗黙知であるため、これは当人以外の他者である第三者に受け継がせることができないものなのです。微妙な油の温度や、衣の付け方、揚げる時間の長さや鍋から取り出すタイミングなど、関沢氏の暗黙知であるからこそ「葉むらの天ぷら」なのです。
葉むらの天ぷらは、旬ごとに厳選した海の幸・山の幸それぞれ新鮮な食材を、丁寧に仕込み作業を行い、辿り着いた衣と油で、絶妙のタイミングで天種を揚げています。葉むらの天ぷらを食することで、旬の季節感を味わえます。時に意外な食材を天ぷらにしてもてなすことで食事をより一層楽しませてくれるのです。
美味しい天ぷらとはどんな天ぷらなのかと問われれば、それは「葉むらの天ぷらですよ」と、私は迷わず返答するでしょう。
※ 参考文献:『大江戸食べもの歳時記』 永山 久夫 (著) 新潮社 2013
執筆者 立
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